TRAVELIZE!旅とフリーランス。

フリーランストラベラー。同じく自営業の旦那と気ままに旅をしながら働く生活をしています。フリーランス・旅のことを中心に記事を執筆中。今年東京脱出しました。

【自己紹介】筆者ってこんな人!勝手にヒストリー紹介の巻

こんにちは!7です。

 

このブログを始めて約1か月ほど経ちましたが、ここらで私自身の紹介をさせていただきます。少し長いですが、お付き合いください!

 

 

7ってこんな人!勝手にヒストリーを紹介

 

幼少期~高校生まで

とある田舎で、一卵性双生児の妹として生まれました。幼少期もそんなに騒ぐほうではなかったのですが、その後小学校の時に横浜に親の転勤で引っ越したのを境に、スーパー物静か窓際系女子に進化(?)。大して思い出のない小学校時代を過ごします。

 

中学生になって反抗期MAX時代は常に何に対してもムカついていた可愛いがきんちょでした。自由な校則で色気づいていたのもこの頃。中学校を卒業するころからだんだん外国の映画に興味が湧き、「スクリーン」「ロードショー」などの雑誌を買い始めたのはこのころでした。

 

 

福岡へ転勤

高校入学を機に福岡へ転勤のため引っ越し。どこの学校も校則が鬼厳しい福岡ですが、その中でも群を抜いて厳しい某女子高へ入学。ここでは映画が好きだったという理由から普通科ではなく国際コースを選びました。 

  • 「眉毛を抜いたのがばれたら、眉毛がすべて生えそろうまで毎朝7時に学校に行かなければいけない」
  • 「髪の毛を伸ばすには日本人形のようにすべてぱっつんに切りそろえなければ伸ばしてはいけない」
  • 「荷物検査では男性の教員に下着の中まで隈なくチェックされる」

という、もはや今の時代には通用しない軍隊のような学校で、(大人になって裏事情を聞いたら、福岡県で一番人が辞める学校だったらしい。確かに一年生の時は13組までありましたが、卒業することには10組まで減っていたので、少なくとも3年間で100人はやめている)、自由だった横浜時代とのギャップに怒りMax!!!!

一番世の中に対して疑問が多かった、多感な時期でした。

 

映画にドはまりの高校1年生

高校1年生の時は一番映画にはまっていて、1年間で100本以上の映画を見ていました(今思えばほとんどすべて覚えていない笑)。このあたりから、翻訳者や通訳者に憧れるようになりましたが、行ったことのある海外と言えば3歳の時のハワイくらいしかなかったので、「帰国子女でもなんでもない自分は無理だろう」とどこかで思っていました。この頃のわたしはドアホで、名前がかければ入学が出来る超偏差値の低い学校の、クラス最下位。

 

ちなみにこの時一番インパクトを与えた映画は「パイレーツ・オブ・カリビアン」。とにかくジョニー・デップがかっこよくて、映画館に3回も見に行きました。メイキングを見始めたのもこの頃で、この世界観を作る舞台美術さんやメイクさんになってみたいという気持ちもありました。メイキングの中にいつか自分の姿を見たいと強く思っていました。

 

人生を変えた高校2年生の夏

人生を一番大きく変えた高校2年生の夏では、国際コース全員(30名ほど)で3か月留学。カナダのバンクーバーにある、MEIというキリスト系の高校に通いました。神経質すぎて海外のご飯なんて絶対食べれない!という謎の癖がありましたが、荒治療により克服。

初めてのキリスト教との出会いに、衝撃を受けました。未知との遭遇に混乱しつつもワクワクしていましたし、もっと世界について知りたいなと思い始めたのもこの頃です。

 

最初は全員同じクラスで英語の授業を受けていたのですが、出来る学生から実際にローカルの授業に入れてもらえるという制度があり、ほぼ初期に入れてもらえたという喜びから、「英語楽しい!英語をもっと勉強したい!」という気持ちが強くなります。

 

帰国してから人間が180度変わる

帰国してからの私は、親がびっくりするほどに改心。グレまくって親や先生の言うことを一つも聞かなかった私が、九州で英語のレベルが一番の大学を目指すようになります。その頃の私も変わらずクラスびり。進研模試E判定

そこから毎日学校へ行くときも6時間近く、休日は12時間ほど毎日毎日あくる日もあくる日も、勉強にのめりこみました。辛すぎて不眠症になったり、過呼吸に悩まされることもありましたが、やればやるほど結果がついてくるのが楽しくて、最後のほうは勉強が楽しくて仕方がないというレベルにまで達しました。

最終的に英語だけは学年1位という快挙を果たし(ちなみに数学は200点中3点しかとれないという、極端な子だった)、志望の大学にも合格。高校生でやりたかった甘酸っぱい恋愛は全く経験せず、映画と勉強にささげた高校生活でした。

 

大学生活~オーストラリア留学

ダンスに身を捧げた大学生活

やっとの思いで入学した大学の授業は超つまらなくて、毎日授業をさぼって一人で勉強をしていました。また大学で入ったダンスサークルにはまりにはまり、今思えば独学の勉強とダンスしかしてなかったなと思います。

双子の相方とダンスチームを組み、毎週週末はクラブでショーをしていました。高校3年生でブレイクし、コンテストでショーを取るようになったり、学生限定のコンテストで全国大会に行ったり、いろんな県にショーを読んでもらったり、雑誌に出演してみたり、テレビに出てみたり。間違いなくここで青春時代を過ごしました。

交換留学に出てみたい気持ちも少なからずありましたが、いま休むことはダンスをあきらめなければいけないことだと思い、どうしても決心が出来ず、結局4年間すべて日本で過ごし、ダンスに没頭しました。

 

運で受かった会社

就職活動も真面目にせず、ダンスばかりやっていたら、書類すら全く通らずで焦りつつも、ダンスをやりたいという軸だけは変わりませんでした。

そんななか、たまたま某地元のダンス専門学校の広報ポジションを発見し、すぐに面接を受けて全候補者の中から1位通過という、まさに運の力で就職が決定。3年間社会人としての力をつけることになります。

もともとは有名なブラック企業で何人か過労死していると聞いていたのでびびっていましたが、入ってみてもやはり噂にたがわぬブラックっぷりで毎日タクシー帰りでした。

ただ新卒から何となく、「いつか留学をすると決断するかも」という思いから、かなりコツコツとお金をためていました。

そしてとあるきっかけで留学を決意することになります。その話はこちらで紹介をしていますのでぜひ合わせてご覧ください!

travelize.hatenablog.com

 

オーストラリアでの3年間

たった3年間ではありましたが、このオーストラリアで過ごした3年間は本当に刺激的で、新しいことばかりで今の自分といいう人間を形成するかなり大きな役割を果たしました。新しい文化との出会いや、ダンスや音楽とのかかわり方、とにかく毎日が刺激的で、精神的なアップダウンがジェットコースターのような日々を過ごしました。オーストラリアでの生活については今後もっと詳しくブログの中で触れていこうと思います。

 

その他オーストラリア留学についてはこちらから

travelize.hatenablog.com

f:id:travelize_mylife:20190113110839p:plain

オーストラリアのHIPHOPアーティストのPVにも出演してみたり。

f:id:travelize_mylife:20190113111557p:plain

ダンス仲間とパーティーばっかりしてたこの頃
ひょんなきっかけから日本が無性に恋しくなる

オーストラリアでの生活も慣れてきたある日、「ここでの生活は楽しくて刺激的だけど、自分がしたいことは本当にここでできるのか」、という疑問が湧いてくるようになりました。その頃は日本人の需要が高い日本人を相手にした営業の仕事ばかりが求人として出ている状態で、自分のやりたいこととはちょっと違う、ということと、エンタメが全く発展していないオーストラリアではなく(テレビのバラエティーが鬼つまらない)、やはり日本のエンタメを支えるような仕事がしたい気持ちがふつふつと湧いていました。

 

一人で頭の中を整理しようと、自分の住んでいるところから2時間以上も離れたビーチに行って、一人でよく考えようと出発したのはいいものの、ついて唖然。こんなに離れたのに、周りにある店は安いチャイニーズレストランとフィッシュアンドチップスだけ、自分の家の近くにあるビーチと情景がなにも変わらなかった、ということがきっかけで、オーストラリアの文化のなさに嫌気がさした、というか日本の文化の深さが妙に恋しくなり、帰国を決意します。(日本だったら、2時間離れたら違う景色もあるし、違う郷土料理もありますよね)

とにかく帰国できるならなんでもいい!とオーストラリアにいるころから東京のとある外資系の通訳会社のクライアントサービス職に内定をもらい、逃げるように日本に帰国することになりました。

f:id:travelize_mylife:20190113111218p:plain

そのビーチで撮った写真。とにかく悶々としていた

 

 

落ち着かない東京生活

続かない会社所属

勤務地は新宿。人の多さ、無駄な情報の多さ、ロボットみたいな無機質な人間たちにすべてに嫌気がさし、すぐ辞めてまたどこかに行ってやる!と思いつつはや3年が経ちました。

 

東京に来てからもなかなか落ち着く時期はなく、初めに入った通訳の会社は刺激がなさ過ぎて半年で退職。その後昔の縁で入社した某芸能事務所は日本の古い上下関係や、しがらみだらけの無駄が多く効率の悪い仕事の仕方、マネージャーたちの暴言などでじんましんを出し、精神を病み、3か月でクビ。

その後少しふらついた後、現在の某エンタメ会社に落ち着いてそろそろ2年とちょっとが立とうとしています。ここでもまさに第二の青春のような、充実した経験をさせていただきました。

プライベートでは、東京では地方ではなかなかいけないライブやイベントに行ったり、著名人の話を生で聞く機会があったり、Youtuberの動画でダンサーとして出演したり、関東近辺の観光地に行ったりと、東京ならではの楽しみを見出し今とてもエンジョイしていますが、とはいえ全くベストと言える形まで持っていけていません。

 

これからの私

今後は私生活が変わったのをきっかけに本当に自分が大切にしたいことや人を優先するために、フリーランスになろうと考えています。とはいえまだ機としては早いという気持ちもあるので、まずは半年から一年間お試しで、くらいの軽い気持ちでやってみようと思います。この仕事の内容についても今後ブログでお話させていただきますね。

 

 

 

 まとめ

今31歳にしてようやくまた新たな人生の岐路に立っているなと感じています。

一見派手っぽく見える生活ですが、人に自慢が出来るようなことは何もなくて、まだまだすべてにおいて中途半端なことが多くて悔しい思いもたくさんしてきました。が、今後は人をうらやんだりする感情はすべて捨て、自分がやりたいことだけをもっともっと突き詰めていきたいと思います。

それにはまた別のチャレンジもありますが、ぜひこのブログを通して応援いただけたら嬉しいです!

 

それでは長々と呼んでいただきありがとうございました。