【結局何が正解なの?】「人生100年時代」の働き方について考えてみる。
こんにちは!7です。
突然ですが、あなたはご自身の70歳の自分が働く姿を想像できますか?
オフィスにいる姿くらいはもしかしたら想像できるかもしれません。ただもっと具体的に考えて見ると、通勤ラッシュの満員電車には乗れるでしょうか?パソコンは打てるでしょうか?(もっとも、パソコンより進化した何かに代替されているかもしれませんが)毎日営業先に行ってプレゼンをしていますか?毎月海外出張に出かけていますか?
給料はどうでしょうか?世代交代が2、3度すでに行われているような状態で、まず間違いなくピーク時からは下がっているでしょう。後輩や部下からはどう扱われているでしょうか?叱咤激励をするために毎日アフター5に飲みに行っているでしょうか?
ここまで具体的に考えると、あまり現実的でないな・・・という声が聞こえてきそうですね。でもこの「あまり現実的でない70歳のサラリーマンである自分」が、現実として受け止めざるを得ない状態はすぐにやってきます。
今日は最近ずっとモヤモヤと考えている「人生100年時代をどう生きるか?」という観点でとりとめのないお話をしようと思います。
おさらい:「人生100年時代構想」とは?
政府の「人生100年時代構想会議」によって広く認知されるようになった「人生100年時代」という言葉ですが、人の寿命が長くなってきたことによる我々のライフスタイルの変化のことをさします。我々が高齢になる頃には人生は平均100歳まで生きられるようになる(であろう)ことを踏まえ、「長く生きる」ことが生活のリスクにならないために、今から準備しましょうということです。
リンダ・グラットン著の「LIFE SHIFT - 100年時代の人生戦略」でも話題になりましたね。
終身雇用という考えがようやく日本にも普及し始め、「個人の時代」が到来したというタイミングでもありました。
人生の方針の多様性による「幸せ」の形の変化
この人生100年時代において、自分の人生の方針について最近ずっと考えていました。
個人的にはこのように人生の方針が多様化するということは、決まりきった「幸せ」の形が強かった日本においてはとても良い流れだと思っています。
日本に帰国したての頃、大企業で正社員、高収入の旦那さんとの結婚、素敵な庭付きの家、お掃除ロボット、可愛いペットと暮らす、etc、「こうすれば幸せ!」という幸せの条件が決まっていて、テレビなどでその情報を無意識に「ああ、これが幸せというものなんだなあ」という風に刷り込まれているなという感覚が強かったです。
この人生100年時代は人生の方針が多様化することによって「幸せの条件」という固定観念を捨てることができるチャンスの時代だと考えています。
ここで私ももう一度人生においての幸せとはなんぞやということを考えてみました。
私は自分の足が動く以上は旅をすることや、愛する家族がいること、自分が好きなことで稼ぐという3つが叶うのなら、満足度のかなり高い人生になりうるということがわかりました。
ちなみに旅行に関してはリタイア後に行くゆるーい高齢者用のツアー旅行ではなくて、健康なうちに様々な場所を探検できなければ個人的には意味がなく、今この瞬間に、行きたいところに行くというのは自分の幸せの中の結構な割合を占めていることなのだと気がつきました。
またその願望を達成するには大企業での正社員である必要はないし、高収入の旦那である必要もないし、素敵な家を買う必要もないと気がつきました。
結局個人で勝てる人が勝つ時代
私はこの人生100年時代を生き抜き、上に挙げたような幸せを掴むためには、結果的に最終的に会社や団体に属さず、個人で戦うことしかないのではないかと思っています。
それを痛烈に感じたのは、日々の会社員生活です。
どれだけ忙しくて終電で帰る毎日であれ、暇すぎてYouTubeを丸一日みる毎日であれ、毎月の給料が変わらないということの違和感や、誰かの功績が簡単にまた誰かの功績にすり替えられ、気がつけば口が上手い人だけどんどん出世していくことへの違和感、会社にはどれだけサービス残業で貢献しても、自分がピンチになったとしても助けてくれない会社への違和感。
こういった違和感は若いうちに思うことには問題ないと思いますが、果たして70歳まで同じ違和感を持ったまま、後40年も会社員するの?という疑問は最近ぬぐいきれないどころか不信感が募るばかりです。
個人でやるから偉いとか、サラリーマンはダメとかそういう話ではなく、単純に今の疑問を定年するその日まで持ち続けることについて、生産性のなさを感じます。不平が出るのは人間として当たり前だけど、不平を言い続けるのは本当に勿体無い。
毎日に疑問を持ち続けながら、古い時代のライフスタイルを送り続けることには、少なくとも今の自分にはあってないのかなと思います。
有限である自分の残りの人生をもっとハッピーにするためには、多少のリスクを負ったとしても自分にとって必要のないほとんどのものは排除して、本当に必要なことだけにフォーカスすることが必要だと最近は感じています。
またこの「個人の時代」の到来によって、個人で働くことが昔よりもリスクでないような気もしています。自治体で補助金を出していたり、フリーランスを支援するようなサービスも間違いなく昔よりも増えているため、むしろ会社に属している方がリスクだという時代が来る可能性もあります。(実際今ある会社の何千何万が無くなると言われていることもあります)
とはいえこの100年時代の考えでは仮に70歳で定年する時代になったとしても、100歳まで30年もあります。一般的に定年後から死ぬまでに1億ほどお金が必要だと言われていましたので、30年も生きるとなるとさらにもっとたくさんのお金が必要でしょう。
そうなるとフリーランスでどこまで稼げるのかかなり未知ですし、さらには会社員としての給料だけで、自分の幸せを担保しつつ、老後のお金を貯めるというのは、正直かなりの無謀なやり方ということがわかります。
正解のない働き方
正直この人生100年時代をどう働いていけば自分にとっての幸せが今も、老後も担保されるのかは答えが出ていません。というのも今が過渡期であり、結果がまだ誰にもわからないからです。
かたや、明日生きている保証もない中で、何十年後の老後の話を一生懸命考えているのは馬鹿らしい感があります。
最近読んだちきりんさんの本によると、彼女は「自分が後10年しか生きれないとしたらどう行動するか?」という考えで人生をプランするそうです。
こうやって区切って考えることによって今も大事にでき、さらに中長期でのプランもより具体性を持って考えられるので、良いかもしれません。
特に答えのないまとめではありましたが、この記事が人生100年時代について考えるきっかけになれば幸いです!
またこの働き方については今後も自分の考えを綴っていこうと思います。
では7でした。