【留学検討者必見!】私が留学先にオーストラリア・メルボルンを選んだ理由と、住んでわかった嫌いな部分
こんにちは!7です。
読者の皆さんの中でも、「旅行じゃなくて留学がしたい!」とお考えになっている方も多いと思います。
そこで今日は「なぜ私が留学先にオーストラリア(メルボルン)を選んだか」というお話をさせていただこうと思います!
なぜオーストラリア・メルボルンを選んだの?
いつオーストラリアに留学に行ったの?
私がオーストラリア・メルボルンに着いたのは忘れもしない2013年の6月。3.11が起きた直後だったので、少し家族が心配ではありましたが、そこまで1年以上留学の準備をして来たので、後ろ髪を引かれつつも日本を離れました。この時は半年だけの留学のつもりが結局3年もいることになろうとは、思いもしませんでした…。
留学に行くことになった経緯
私は高校の時に国際コースという普通コースより微妙に英語の授業が多いのと、高校2年生の夏に3か月間カナダのバンクーバーに行くだけのコース。笑に通っていました。ちなみに当時は自分の名前さえが正しく書ければ入れると評判(?)でした。
映画とダンスが大好きということを除いては本当にタダのお勉強ができないバ〇な女子高校生。それが短期留学で訪れたカナダで英語の楽しさに気づき、英語をもっと勉強したい!という気持ちに火が付きました。カナダから帰国後は当時地元では一番頭の良かった大学の英語学科に入るため、狂ったように一日10時間以上の勉強をするようになるのです…。
やっとの思いで志望校に入学したけれど…
やっとの思いで入学した大学も授業はあっけにとられるほど簡単なことばかり。授業をさぼって一人で英語を勉強していました。大学卒業までにTOEIC800点を取るんだ!と掲げ、無事800点取得。すっかりいい気になったはいいものの、新卒で入社した会社は英語とは無縁の仕事。国際課に行きたいなという気持ちもありましたが、目の前のことで精いっぱいの日々。英語とは2年ほど付き合う期間がありませんでした。
自分の中途半端スキルに嫌気がさす
社会人として2年も終わる頃、とあるイベントで通訳が熱を出して欠席し、急遽英語が話せそうであるという理由でその方の代打を頼まれることになりました。
もちろん2年間も離れていたため撃沈!!なんとか伝わって終わったものの、悔しさが異常に残りました。
「このままの超中途半端なスキルで英語が好き、英語が得意なんて言い続けていいのだろうか…」という気持ちが次第に大きくなり、1か月後には留学をする!という明確な気持ちに代わっていました。
ワーキングホリデーも考えましたが、どうせならしっかり勉強したい!ということで、留学をすることに決めたのです。
留学の方法
通常であれば語学学校に通ったり、何か専門性を付けたければそのあとに専門学校や大学に通うのですが、私はお勉強スキルはあったので、TOEIC800点という今考えれば大したことないけれど、当時はそれがすべてだったところもあり、語学学校はパスしてすぐに専門学校に入ることにしました。分野はどうせやるなら!と通訳を選択。
なぜメルボルン?の前になぜオーストラリア?
本題の、なぜオーストラリアのメルボルンだったの?というところですが、まず考えたのは、アメリカは感覚的にそんなに好きでないということと、銃社会だから怖いところ、というイメージがありました。
まずは全世界にある通訳学校について調べました。英語圏だとカナダやイギリスにもあったのですが、オーストラリアにはNAATI(National Accreditation Authority For Translators and Interpreters)という通訳の国家資格が存在し、そのコースを終了したら最後にNAATIの試験を受けることが出来るという点に惹かれました。
なぜかというと、NAATIを取りたいということよりも(日本では大して知られていないため、全然使えないです笑)同じ半年でもただ卒業するだけの学校なのか、目に見えて失敗だったのか成功だったのかが、成果がわかる学校なのかという視点で選んだ末、オーストラリアを選ぶことにしました。
発音も重要な選択の理由でした
オーストラリア発音は聞きにくいし田舎っぽくて大っ嫌いだったのですが、実際に英語を使う仕事をしようと思ったときに、相手の発音の癖は当たり前ですが選べないので、どうせだったら聞き取りにくい発音の場所を選んで自分を追い込むことに決めました。(ちなみに今は、あれだけ嫌いだった発音だったのに、初めて話す英語スピーカーに絶対突っ込まれるほどオーストラリア発音が染みついてしまいました笑)
時差はかなりの決め手
もう一つの理由としては、やはり日本との時差がほとんどないことです。
どこに住んでても基本は夏に2時間、通常で1時間しか時差がないので、日本の家族に電話するのが気軽に行えたから、3年間過ごせたと思います。
で、なぜメルボルン?
今度はオーストラリアの中のどこに行くか、という選択ですが、正直コースが終わってNAATIを受けられる学校がオーストラリアの中には1つしかなく、これが私が通ったRMIT(ロイヤルメルボルン工科大学)です。RMITのご紹介はまた別途詳しくさせていただきますので、ここではさらっと流します。
ほかの都市にも通訳の専門学校(専門学校は当時オーストラリアではTAFE(テイフ:職業訓練校)と呼ばれていました。)はありましたが、NAATIは後で別で受けてくださいねスタイルでした。ここが結構キモで、NAATIのテスト受けること自体に880オーストラリアドルがかかってくるため、どうせならインクルージブなほうがいいだろうということでRMITを選んだのも一つの理由でした。
メルボルンを選んだ(結果的に選ぶことになった)理由
結果論ですが、メルボルンを住む街として選んだのは下記の2つの理由です。
カフェとアートの文化
まだ歴史の浅いオーストラリアはどこにいってもフィッシュアンドチップスとビーチとサーフィンです(決してディスってない)。そんな中、メルボルンには唯一カフェの文化とアートの文化が芽生えていました。メルボルンにはレベルの高いカフェが立ち並びますし(今後はおいしいカフェなどもご紹介していこうと思います!)ストリートアートもあちこちにあったりするので、(私もここでダンサーのはしくれとして生活することになります)。コーヒーもアートも大好きだった私は、メルボルンは最適でした。
超ミックスカルチャー
オーストラリアの中でもメルボルンはかなりのミックスカルチャー(他民族都市)でした。これがシドニーだとアジア人だらけなのですが、メルボルンは欧州系も多く(ちなみにメルボルンは、ギリシャ以外でギリシャ人が多い街ランキング第3位らしい笑)ミックスカルチャーの中でいろんな考えや価値観を学びたかったので、その点においてもプラスでした。
「住みやすい街ナンバー1」のうたい文句に注意
ちなみにメルボルンは住みやすい街ナンバー1といわれますが、本当に否定したいこれ。どの視点で「一番」なの?と思います。確かに車があれば便利ですが、車がない学生からしたら交通インフラは本当に発展途上国より全然整ってないし、物価は鬼高いので毎日ひもじい思いをたくさんしました(卵1パック6オーストラリアドルくらい)。軽犯罪だって全然多いし、夏は45度くらいの熱さで本当に寝れないしかといって朝方は鬼寒い。冬は毎日暗くて超鬱になる。一日に4つの四季があるといわれる街です。
住みやすい街ランキング1位だし。。って気持ちで来ると本当に後悔するので気を付けてくださいね。
大切な3年間
たった3年でしたが、私の人生において外すことのできない、大切な大切な3年間になりました。
実際専門学校に通ったお金と3年間の生活費でかなりのお金が飛んでいきましたし、日本に戻ってきたときに日本の企業の経験が浅くてすごく困りました、が、今でも1ミリも後悔していませんし、今この英語を生かした仕事や通訳や翻訳の仕事もできているので本当に幸せです。一緒に半年間を戦ったクラスメイトも同じく通訳として活躍している方もいます。
絶対的な留学のススメ
外に出ないと絶対的に経験ができない価値観や、体験があります。
私は留学は300%賛成派です!!
ちなみに現地で留学コンサルタントや語学学校のマーケティングでも働いていたので、何かオーストラリア留学やワーキングホリデーの相談があればいつでも【お問い合わせフォーム】からお気軽にご連絡ください!(ワーホリもオーストラリアで経験済みです)
これからもっとたくさんの留学についてのお話を、このブログではしていこうと思います。
まとめ
オーストラリア・メルボルンのここがいい!
- 日本と時差がほとんどない!
- ミックスカルチャー!
- アート&カフェ文化!
オーストラリア・メルボルンのここがダメ!
- 天候が全然よくない!
- 物価が鬼高い!
- 交通インフラが全く整ってない!
以上、7でした!
7